今回の“夏うた”は、Chappie(チャッピー)の「水中メガネ」。
Chappieとは、イラストで描かれた着せ替えキャラクターで、
この「水中メガネ」を実際に歌っているのは、ネット情報によると、
いとうようこさんというプロの歌手だそうです。
歌詞は松本隆、作曲はスピッツの草野マサムネと超豪華。
松本さんは、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」(1975)や
松田聖子の一連のヒット曲など、2000曲以上の歌を手がけた
日本の歌謡界・Jポップのレジェンド級の作詞家です。
今回は、その松本隆の「水中メガネ」を取り上げて、
その歌詞をていねいに読み解いてみたいと思います。
まずは、聴いてもらいましょう。能書きは後で(長くなるよ)。
この曲の歌詞の最大のしかけは、途中で
「水中メガネをつけたら わたしは男の子」
そう歌いながら、曲の最後になると
「水中メガネを外せば 見知らぬ女の子」
と、変化しているところです。
なぜ、「女の子」である自分を「男の子」と言うのか。
あるいは、鏡に映る自分の姿を見て
なぜ「見知らぬ女の子」だと感じてしまうのか。
そのあたりの主人公(ヒロイン)の想いを察すると、
女の子の抱える孤独と悲しみが浮かび上がってくる。
そんな歌詞の構成になっています。
では、主人公の女の子の心を探ってみましょう。
「水中メガネで 記憶へ潜(もぐ)ろう
蒼(あお)くて涼しい水槽の部屋
あなたの視線に飽きられちゃったね
去年は裸で泳いでたのに」
(「水中メガネ」Chappie 1999) ※以下同
去年の二人は、いい感じだったはずなのに…。
それを確かめたくなって、「水中メガネ」をつけて
記憶の海へと潜(もぐ)ってゆく女の子。
男の子と二人だけの部屋で「水中メガネ」なんて、
ちょっとフザけて見せたかったのでしょうか。
「あなたの視線に飽きられちゃったね」とあるので、
男の子は、そんな彼女の子どもっぽいアピールに対して
とくに興味を示さず、もう飽きているようです。(悲)
「去年は裸で泳いでたのに」とは、
海で思いっきりはしゃいだイメージもありますが、
去年は(この部屋のベッドの上で)裸で泳いでたのに、
あんなにイチャラブだったはずなのに…
そんなふうに裏読みすることもできます。
というのも、よく似た比喩表現の歌詞があるからです。
「ベットの中で魚になったあと
川に浮かんだプールでひと泳ぎ
どうせ二人は途中でやめるから
夜の長さを何度も味わえる」
(「リバーサイド・ホテル」井上陽水1982)
“どこ”で泳いだのかはともかくとして、
「水中メガネ」の歌詞は、出だしの4行だけで、
二人の関係性がみごとに表現されています。
そして、1回目の「わたしは男の子」発言です。
「泣きながら鏡の
前で踊る ゆらりゆらり俄(にわ)か雨
水中メガネをつけたら
わたしは男の子」
「俄(にわ)か雨」とは、もちろん「涙」の比喩です。
記憶の底から上がってみると、去年の夏との変わりように
思わず涙があふれてきたのでしょうか。
あるいは、悲しい気持ちをごまかそうとフザけたふりをして
(涙を見せないように)水中メガネをつけたのかも知れません。
「わたしは男の子」とは、どういう意味でしょうか。
あなたから飽きられてしまったのは、
わたしが女の子らしくないから…という自虐なのか。
あるいは、わたしがもし男の子だったら、
性別など気にせず遊べるのに…そんな願望なのか。
「水中メガネ」をつけることで、幸福だった夏の記憶と
二人で一緒にいるのに孤独を感じている現実とが
二重映しになって見えてくる、そんな視覚効果があります。
「微(かす)かな潮騒 空耳なのかな
無言の会話が きしむ音かな
あなたは無視して漫画にくすくす
わたしは孤独に泳ぎだしそう」
去年の夏、いっしょに聞いていた波の音さえ
「無言の会話が きしむ音」に変わってしまう残酷さ。
二人の関係を音で表現する巧みな比喩です。
「熱帯の魚と
じゃれるように暑い暑い夏の夜
心はこんなに冷たい
わたしは男の子」
「暑い暑い夏の夜」に、「心はこんなに冷たい」と、
温度の対比で、孤独感を際立たせてからの
2度目の「わたしは男の子」発言です。
その裏にあるのは、どんな思いなのでしょうか。
孤独な海を泳いで、心が冷たくなるのは、
わたしが女の子らしくないから…、という自己否定なのか?
「女の子」あつかいされて、ホントの私を見てもらえないなら、
いっそ「男の子」になりたい…、そんな気持ちなのか?
たぶん、そのあいだで揺れているのでしょう。
そんななかで、生々しくよみがえってくるのは…
「岩陰でいちゃついてた あの夏の匂い」
「水中メガネ」による記憶と現実の二重映しの視覚、
「潮騒」と「無言の会話がきしむ音」という聴覚、
「暑い夏の夜」と「冷たい心」という温度感覚、
そしてここでは、「いちゃついてた」という触覚と、
それらを思い出す「夏の匂い」という嗅覚です。
五感や体性感覚をあらわす言葉によって、
聴き手の経験や記憶のなかの感覚が呼び覚まされ、
歌詞の世界がリアルなものとして想像できます。
夏の思い出があふれて、波のように打ち寄せるなか、
せつない想いも極まって、曲はエンディングを迎えます。
「一人 鏡の
前で踊る ゆらりゆらり俄(にわ)か雨
水中メガネを
外せば
見知らぬ女の子」
最後の「見知らぬ女の子」とは、どういう意味でしょうか。
“これまでのような私”でないことは明らかですが、
この歌は、自分が自分でなくなってしまったことを
自己喪失の悲しい歌として描いているのでしょうか。
たぶん、そうではないと思います。
(そんな失恋ソングは山ほどありますが)
自分が変わったことがよかったのか、悪かったのか、
それは、これからの彼女にしかわかりません。
この後の二人の関係については、相手の男の子が
どう変わるか(あるいは変わらないか)にもよります。
よく、“恋は人を成長させる”なんて言われます。
それは“恋愛ごっこ”がうまくなるということではなく、
恋という経験が自分を作り直すきっかけになるからです。
最後の「見知らぬ女の子」という言葉には
「変わっても、君は君だから。きっと大丈夫。」
そんな作者の優しさが込められている気がします。
では、もう一度。こんどは作曲を手がけた
草野マサムネのカバー(2015)で聴いてみましょう。
こちらも、なかなかよきです。