9月の名曲と言えば…(その2)

今回紹介する9月の名曲は、
竹内まりや「September」(1979)です。

前回のウェットな「九月の雨」の世界とは一転して、
澄んだ秋の景色に似合う、ポップな失恋ソングです。

当時、こうした歌謡曲がどうやって制作されていたのか、
ネットで見つけたプロデューサーの記事を参考に
この楽曲について、あれこれ考えてみます。

私がこの曲を初めて聴いたのは、中学生のときでした。
歌詞がよくわからなくても、とくに気にすることなく、
キャッチーなサウンドにハマって、すぐ好きになりました。
歌詞の冒頭は、こんな感じです。

からし色のシャツ追いながら
飛び乗った電車のドア
いけないと知りながら
ふりむけばかくれた
(竹内まりや「September」1979)

誰が誰を追いかけ、なぜかくれたのか?
この部分だけでは状況がよくわかりませんが
悪いことをしてるような秘密めいた歌い出しで
聴き手を引きつける技巧は、さすがです。

この後の展開で、年上の女性に会いに行く彼を
ヒロインの女の子が追いかけている設定だとわかります。
しかし、その女性に「彼を返して」と頼む勇気はなく、
“秋”に変わった(=私に“飽き”てしまった)彼に
女の子の側からさよならをするというストーリーです。

セプテンバー そしてあなたは
セプテンバー 秋に変った
私一人が傷つくことが
残されたやさしさね

当時のプロデューサー宮田茂樹氏が明かした裏話によると、
「9月」をテーマにした理由について、こう述べています。

9月は大学生達にとって特別な意味があると思ったのです。ご存知のように欧米の大学(学校)は9月から新年度が始まる。夏休みともなれば付き合っているカップルもそれぞれの故郷に帰り、離ればなれに過ごし、いろいろな夏の出来事を経験したあとで、9月になればもう一度逢える。でも9月には別れが待っているのかもしれない、そんな大学生の、今風に言えば恋バナをテーマにしようと考えました。
(宮田茂樹「1979年の本日リリース、竹内まりや「SEPTEMBER」制作時の話」
大人のミュージックカレンダー  http://music-calendar.jp/2017082101

流行歌は、大衆の欲望やあこがれを映し出す鏡です。
欧米の大学生の“9月の恋バナ”をテーマにするということは、
当時の若者がそんなキャンパス・ライフに憧れていた、
(少なくとも制作者はそう考えていた)ということです。

ただ、日本の若者には9月は2学期の始まりでしかありません。
(今では学校嫌いの小中高生の自殺が多いのが9月1日です)
欧米の大学生には9月に特別な意味があるか知りませんが、
なぜこの日本で“大学生の恋バナ”をテーマに選んだのでしょうか。

その裏には、シンガーである竹内まりやと楽曲のイメージを
結びつけるプロモーション戦略があったようです。
当時の竹内は、留学経験がある慶應大学の学生でした。
いわば“英語が得意な、オシャレで可愛い女子大生”
そんなパブリック・イメージで売り出されたアイドルでした。
(※1979年の4年制大学への女子の進学率は12.2 %)

楽曲制作にあたって、プロデューサーの宮田氏は迷うことなく、
作詞を松本隆に、作曲を林哲司に依頼したそうです。

林さんへの要望はフック・ラインにSEPTEMBERを使ってほしい、テンポはBPM90くらい、とそれだけでした。
松本さんとの仕事は初めてでしたが、キャンパス・ライフ、夏休み、出会いや別れ、秋の切なさ、ブラッドベリーの“10月は黄昏の国”風味、こんなプロットを織り込んで一級品に仕上げることのできる作詞家は彼しかいないと思ってましたので、初顔合わせの打ち合わせも滞りなくすませることができました。
(宮田茂樹「1979年の本日リリース、竹内まりや「SEPTEMBER」制作時の話」大人のミュージックカレンダー)

キャンパス・ライフ、夏休み、出会いや別れ、秋の切なさ、
ブラッドベリーの“10月は黄昏の国”風味」というような言葉で
作詞家・松本隆へのディレクションがなされたようです。

プロデューサーからの指示を受けて、松本隆は
次のようなフレーズを巧みに歌詞に織り込んでいます。

「街は色づいたクレヨン画 涙まで染めて走る」

「夏の日ざしが弱まるように 心に影がさした」

「ほどけかけてる 愛のむすび目 涙が木(こ)の葉になる」

「めぐる季節の色どりの中 一番さみしい月」

「トリコロールの海辺の服も 二度と着ることはない」…

「セプテンバー そして九月は
 セプテンバー さよならの国」

この「九月は…さよならの国」という比喩は、
『10月はたそがれの国』というレイ・ブラッドベリの
短編集のタイトルをヒントにしたのかも知れません。

ただ、この「September」の歌詞を読んでも、
“キャンパス・ライフ”のイメージはほぼありません。
この曲を口ずさんでいた私は、この歌の主人公が
大学生だとはまったく想像できませんでした。

歌詞のなかの「ディクショナリー」という言葉が
唯一、学生らしいシンボルとして使われていますが、
英語の辞書なら、当時の中高生も持っていました。
結果的に、“キャンパス・ライフ”に限定しない方が、
詞の世界を自由に想像できてよかったと思います。

この「ディクショナリー」という歌詞については、
プロデューサーの興味深いエピソードが語られていました。
それは、いざ歌入れの段階になって、竹内まりやが
「“借りていたディクショナリ”なんて歌いたくないわ。
だってふつう使わないでしょ」とゴネたという話です。

この歌詞は、楽曲の最大のフックとなる部分です。

借りていたディクショナリー 明日返すわ
ラブという言葉だけ 切り抜いた跡
それがグッド・バイ  グッド・バイ

借りていた辞書の【love】の文字だけを切り抜いて
相手に返すという歌詞は、中学生ながら衝撃的でした。
電子辞書やスマホの時代の若者には、紙の辞書を
貸し借りする関係がピンとこないかもしれません。

人から借りた辞書を破損することの是非とか、
相手がそれに気づくかどうかといった問題を超えて、
傷ついて、失くした【愛】の巧みな比喩となっています。

なぜ、竹内は「借りていたディクショナリー」なんて
歌いたくないと言ったのでしょうか。

たしかに、日常会話でそんな言いかたはしません。
そんな人間がいるとすれば、なにかと横文字を使って
自分の“知性”をアピールしたがる嫌味なヤツです。

勝手な想像をすれば、英語の得意な大学生アイドルとして
レコード会社の戦略に乗って売り出された竹内まりやは、
自分のイメージと楽曲(歌詞のヒロイン像)を結びつけられ、
誤解されるのが嫌だったのではないでしょうか。

実際、アイドルになりたかったわけではない竹内は、
周囲の大人たちから求められる芸能路線と、
自分が望む音楽活動の間で苦しんでいたそうです。

その後、1982年にミュージシャンの山下達郎と結婚。
自身も楽曲を制作し、他の歌手にも提供してヒットを連発、
Jポップを代表するシンガソング・ライターとなります。

たとえば、近年の“シティ・ポップ”ブームのなかで
海外から再注目された楽曲が「プラスティック・ラブ」
(1984年リリース、詞・作曲:竹内まりや、編曲:山下達郎)
2019年には、クールでカッコいい楽曲の世界観を
見事に映像化したPVが制作されてます。これは必聴。

9月の名曲と言えば…(その1)

昭和歌謡を代表する9月の曲といえば、
太田裕美「九月の雨」(1977)と
竹内まりや「September」 (1979)です。

どちらも巧みなリリックとキャッチーなサウンドがあいまって、
今でも愛され、カバーされ続けているポップスです。

まずは、「九月の雨」から聴いてみましょう。

作詞は松本隆、作曲は筒美京平という最強タッグ。
このコンビは、「木綿のハンカチーフ」をはじめ
太田裕美のシングルを数多く手がけています。

イントロは、降ってくる雨のようなピアノの音から始まり、
情感あふれるコーラスとストリングスが重なって
歌い出しまでの20秒で、早くも心をつかまれてしまいます。
波乱含みのドラマを予感させるようなサウンドです。

車のワイパー 透かして見てた
都会にうず巻く イリュミネーション
くちびる噛みしめ タクシーの中で
あなたの住所を ポツリと告げた

ヒロインの女性は、どうやらタクシーに乗って
彼の家へ向かおうとしているらしい。
しかし、「くちびる噛みしめ」という表情から
必死に感情をこらえていることがわかります。

また、「ポツリと告げた」という言葉からは
彼に会うことへのためらいや葛藤がうかがえます。
こらえていた涙がポツリとこぼれるように、
住所を告げてしまった、そんな感じでしょうか。

いったい二人の間に、何があったのか。
どきどきするサスペンスドラマのような展開です。

September rain rain
九月の雨は 冷たくて
September rain rain  
想い出にさえ 沁みている

愛がこんなに辛いものなら 
私ひとりで生きてゆけない
September rain 
九月の雨は 冷たくて

ここで、ヒロインが辛い愛を抱えていることがわかります。
私ひとりで生きてゆけない」という言葉から、
別れを告げた男のもとへ向かっているのだろうか…、
二人はこの後どうなるのか…、想像がかき立てられます。

“冷たい雨”といえば、ユーミン(当時は荒井由実)が作った
1970年代を代表する失恋ソングがありました。

冷たい雨にうたれて 街をさまよったの
もう許してくれたって いい頃だと思った
部屋にもどって ドアを開けたら
あなたの靴と誰かの赤い靴

あなたは別の人と ここで暮らすというの
こんな気持ちのままじゃ どこへも行けやしない
(「冷たい雨」詞・曲:荒井由実1975)

松本隆がどこまで意識していたかわかりませんが、
聴き手にとっては、そうした過去の名曲と二重映しになって、
歌詞の言葉がいちだんと沁みることがあります。

1976年リリースのハイ・ファイ・セットの歌でどうぞ。

では「九月の雨」の続き。

ガラスを飛び去る公園通り
あなたと座った椅子も濡れてる

先ほどの、冷たい雨(=男の冷たい仕打ち)が
思い出にさえ 沁みている」という言葉を受けて、
幸せな気分でデートしていた想い出のベンチが
雨に濡れている光景が歌われています。
それを見つめる彼女の瞳も濡れていることでしょう。

さっきの電話で あなたの肩の
近くで笑った女(ひと)は誰なの?

出ました!衝撃的な女性の影です。
さっきの電話」とは、彼からの別れ話の電話だったのか、
あるいは、彼のそばで(まさかベッドの隣で?)
電話越しに聞こえた女性の笑い声が気になって、
彼のもとへ向かわずにいられなかったのか。

いずれにしろ、彼の心は離れてしまったという現実が
彼女を静かな悲しみの中に置き去りにします。

愛がこんなに悲しいのなら
あなたの腕にたどりつけない
September rain
九月の雨の 静けさが

ここでとつぜん転調して音階が上がり、
聴き手の緊迫感がさらに高まったところで、
ヒロインの叶わぬ思いが吐露されます。

季節に褪(あ)せない 心があれば
人ってどんなに幸せかしら

ライトに浮かんで 流れる傘に
あの日の二人が見える気もした

この「見える気もした」の“”が凄いです。
“気がした”と “気もした”では、印象がどう変わるのか。

あの日の二人が見える“気がした”のなら、
少なくとも思い出は確かなものだったと信じていますが
見える気もした」だと、もっと弱気な感じがします。
この“も”の一語が、彼女の中に浮かんでは消え、
さまざまに入り乱れる思いを表現しています。

たとえば…
自分はほんとうは愛されてなかったのではないか?
自分だけが愛だと思い込んでいたのではないか?
そんな悲しすぎる疑いさえも浮かんだことでしょう。

だから彼女は、消えかけている「あの日の二人」を
揺れる思いで「見える気もした」としか言えないのです。

ここで終われば、悲しいだけの失恋ソングですが、
この歌では、「季節に褪せない心」を求めながら
冷たく変わってしまった現実を受け止めるヒロインに、
ひとつの“気づき”が訪れます。

それは、相手が愛を消そうとするのなら、
自分はそんな過去にとらわれることはやめて、
明日を向いて歩き出そうという決意です。

September rain rain
九月の雨は優しくて
September rain rain
涙も洗い流すのね

愛が昨日を消して行くなら
私明日に歩いてくだけ
September rain
九月の雨は冷たくて
September rain
九月の雨は優しくて

歌のなかで“雨”は“涙”の比喩としてよく使われますが、
この曲では、つらい現実を洗い流すという発想で、
冷たい雨が、優しい雨へと変わっています。

こんな結末が待っていたとは! 知ってるけど、
何度聴いても、いやおうなく感動させられます。

私たちを感動させてくれる歌詞の多くは、
記憶に刻まれている言葉のイメージをもとにして、
新たな意味を生み出すよう巧みに構成されています。

この曲の、失恋の涙を洗い流すというモチーフは、
その後、アン・ルイスや山下久美子が歌った
「シャンプー」という名曲にも引き継がれています。
このバラードも、なかなか胸に沁みる傑作です。

シャンプー 短く 切った髪を
泣きながら 洗う あの子
忘れなよ くやしいけど あんなやつのこと
(「シャンプー」1979 詞:康珍化、曲:山下達郎)

長くなったので、
「September」の話は次回に。

22歳(+37)が選んだ「夏うた」 (その11)

9月になりましたが、“夏うた”の残りの講義はあと2曲。
今回は、上々颱風(シャンシャンタイフーン)の「愛より青い海」と、
山下達郎の「LOVELAND, ISLAND(ラブランド、アイランド)」を
いっきに解説します。

どちらにも “愛”や“LOVE”という言葉が使われていますが、
“愛”といっても、現代人のややこしい恋愛模様や
個人的な恋愛ドラマを描くラブソングとはちょっと違って、
もっとスケールの大きな“愛”が歌われています。

まず、上々颱風「愛より青い海」から聴いてみます。
沖縄やアジアの香りがする独特のサウンドと
女性ツインボーカルのハーモニーが魅力的な曲です。

「ただひとつの歌を 歌うために生まれた
 ただひとつの愛を 歌うために生まれた」
(「愛より青い海」上々颱風 1991)

一つひとつの言葉の意味は単純ですが、くり返されると、
だんだん深くて広い意味に感じられてきます。

“ただひとつの歌”、“ただひとつの愛”とは何でしょうか。

たとえば、ミスチルの「HANABI」の歌詞では、
主人公が「世界のすべてが無意味だって思える」と感じ、
こう自分に問いかけていました。

「一体どんな理想を描いたらいい?
 どんな希望を抱き進んだらいい?
 答えようもないその問いかけは
 日常に葬られてく」
(「HANABI」Mr. Children 2008)

そんな私たちの胸に浮かんでは消えてゆく問い、
現代人が抱える “何のために生きるのか” といった
難しい問いについての、とてもシンプルな答えを
この「愛より青い海」に聴くこともできます。

「ただひとつのを 歌うために生まれた
 ただひとつのを 歌うために生まれた
 ただひとつのを 歌うために生まれた
 ただひとつのを 歌うために生まれた」
(「愛より青い海」上々颱風 1991)

そっか。私たちは「歌うために」生まれてきたのか…。

そういえば、国語で習った『古今和歌集』の序にも
「生きているすべてのものが歌をよむ」とありました。

「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。
 …(中略)…生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。」
(『古今和歌集』新編日本古典文学全集11)

でも、「ただひとつの歌」とはどんな歌でしょう。
あるいは、「ただひとつの愛」とは何でしょうか。
いちばん愛している人のことでしょうか。

たぶん、ここで歌われている「ただひとつの」とは、
ただひとりの“私個人”にとっての、という意味ではなくて、
“私たち”人間とって共通の「ただひとつ」だと思います。

「ただひとつの○○を 歌うために生まれた」
舟の櫂をこぐように繰り返される歌を聴いていると、
私たちが共有できる「ただひとつの」ものがある…
そんな想いが浮かんで、心地よい一体感が生まれます。

さらに、私たちに共通する遠い起源へのまなざしで
「みんなおなじ」というイメージが強められています。

「流れゆく白い雲を 追いかけて追いかけて
 人はみな青い海の 向こうからやって来た」
(「愛より青い海」上々颱風 1991)

私たちの祖先は海の向こうからやって来ましたし、
沖縄(琉球)の神話には、遠い海の彼方にある
“ニライカナイ”と呼ばれる理想郷が語られています。
そんな悠久の時間をイメージしながら聴くと、
この曲の味わいがいちだんと深いものになります。

では、次。

山下達郎「LOVELAND, ISLAND」を聴いてみます。

「ラブランド、アイランド」というタイトルからして
“愛”にあふれた素敵な理想郷のような印象です。
いったいどんな“愛”が歌われているのでしょうか。

歌詞の内容をざっくり言うと、
夏の幻のように、どこからか現われた女性が、
砂漠の街をオアシスに変えて、消えてゆく。
そんなストーリーです。

「オアシスに変わる」というのは、その女性が
乾いた心をうるおしてくれたという比喩です。

遠い場所や異世界から“見知らぬもの”が到来して、
幸福(または厄災)をもたらすというストーリーは、
神話やSF、アニメなどの物語の“類型”として、
太古の昔から語られ、人々の想像力を刺激してきました。
この歌詞も、そんな物語の構造を踏襲しています。

ちなみに、日本語の“まつり(祭り)”の語源は、
他界から来訪する神を“まつ(待つ)” に由来しています。
夏フェスに降臨するのは、私たちに元気をくれる
特別な力のあるミュージシャン(=神)ということです。

この楽曲「LOVELAND, ISLAND」では、
まるで伝説が生まれる現場に立ち会ったかのように、
歌詞の最後で主人公(男)の感慨が語られます。

「Oh Loveland
 ふいに現れ消えた
 あの人 きっと夏の女神さ
 光の愛はここにもあると
 Oh Loveland
 教えに来たんだ」
(「LOVELAND, ISLAND」山下達郎 1982)

いったい「光の愛」とは何でしょうか。
よくわかりません。むしろ、わからないからこそ
なんだか素晴らしいものに思えてきます。

“愛”も、“光”も、世界のすべてをつつむ便利な言葉で、
目に見えないものまで、あらわしてくれます。
この曲では、サンバ調のごきげんなリズムにのって
軽やかなステップを刻む女神が見えるようです。

この曲が使われていたビールのCMでは実際に、
ダンサーの華麗なステップが披露されていました。

では、“光”つながりで、おまけの一曲。
同じ山下達郎の「SPARKLE(スパークル)」です。
(“sparkle”とは、“輝き・きらめき”といった意味)

「LOVELAND, ISLAND」と同じアルバム『FOR YOU』の
1曲目に収録された、まさに夏の到来を告げるような曲です。

「七つの海から 集まってくる 女神たちのドレスに 触れた途端に
 拡がる世界は 不思議な輝きを 放ちながら 心へと忍び込む」
(「SPARKLE」 詞:吉田美奈子、曲:山下達郎 1982)

この「不思議な輝き」が、タイトルの由来だと思われますが、
コーラスは、こんな歌詞になっています。

「Wonder in your world.
 Sparkle in my heart.」
(和訳:
君の世界の不思議、
僕の心のなかの輝き)

「女神たちのドレス」とは、海風の比喩でしょうか。
海から吹いてくる風と、きらめく夏の光。
そんな「不思議な輝き」がもたらす解放感…。

なんて解釈では、この曲のよさはまったく伝わりません。
この楽曲の魅力は、サウンドの圧倒的なカッコよさです。

むしろ歌詞には、明確な意味や論理性をもたせず、
サウンドの効果を増幅させ、イメージを拡げるような
そんな感覚的な言葉がつぎつぎに繰り出されます。

山下達郎が刻むギターの軽快なカッティング、
ドラムとベースのリズム隊が生み出すグルーブ感、
低音から高温へと順に重ねられるブラスの響き、
などといくら説明しても、百言は一聴に如かず。

では、2023年に公開された新しいMVをどうぞ。

※ダンサーの動きについ注目してしまいますが、
できるだけサウンドの重なりに注意しながら、
楽曲そのもののカッコよさを体感してください。
この際、歌詞はどーでもいいです。(笑)

22歳(+37)が選んだ「夏うた」 (その10)

今回の“夏うた”は、Chappie(チャッピー)の「水中メガネ」
Chappieとは、イラストで描かれた着せ替えキャラクターで、
この「水中メガネ」を実際に歌っているのは、ネット情報によると、
いとうようこさんというプロの歌手だそうです。

歌詞は松本隆、作曲はスピッツの草野マサムネと超豪華。
松本さんは、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」(1975)や
松田聖子の一連のヒット曲など、2000曲以上の歌を手がけた
日本の歌謡界・Jポップのレジェンド級の作詞家です。

今回は、その松本隆の「水中メガネ」を取り上げて、
その歌詞をていねいに読み解いてみたいと思います。
まずは、聴いてもらいましょう。能書きは後で(長くなるよ)。

この曲の歌詞の最大のしかけは、途中で
「水中メガネをつけたら わたしは男の子」
そう歌いながら、曲の最後になると
「水中メガネを外せば 見知らぬ女の子」
と、変化しているところです。

なぜ、「女の子」である自分を「男の子」と言うのか。
あるいは、鏡に映る自分の姿を見て
なぜ「見知らぬ女の子」だと感じてしまうのか。

そのあたりの主人公(ヒロイン)の想いを察すると、
女の子の抱える孤独と悲しみが浮かび上がってくる。
そんな歌詞の構成になっています。

では、主人公の女の子の心を探ってみましょう。

「水中メガネで 記憶へ潜(もぐ)ろう
 蒼(あお)くて涼しい水槽の部屋

 あなたの視線に飽きられちゃったね
 去年は裸で泳いでたのに」
(「水中メガネ」Chappie 1999) ※以下同

去年の二人は、いい感じだったはずなのに…。
それを確かめたくなって、「水中メガネ」をつけて
記憶の海へと潜(もぐ)ってゆく女の子。

男の子と二人だけの部屋で「水中メガネ」なんて、
ちょっとフザけて見せたかったのでしょうか。

「あなたの視線に飽きられちゃったね」とあるので、
男の子は、そんな彼女の子どもっぽいアピールに対して
とくに興味を示さず、もう飽きているようです。(悲)

「去年は裸で泳いでたのに」とは、
海で思いっきりはしゃいだイメージもありますが、
去年は(この部屋のベッドの上で)裸で泳いでたのに
あんなにイチャラブだったはずなのに…
そんなふうに裏読みすることもできます。

というのも、よく似た比喩表現の歌詞があるからです。

「ベットの中で魚になったあと
 川に浮かんだプールでひと泳ぎ
 どうせ二人は途中でやめるから
 夜の長さを何度も味わえる」
(「リバーサイド・ホテル」井上陽水1982)

“どこ”で泳いだのかはともかくとして、
「水中メガネ」の歌詞は、出だしの4行だけで、
二人の関係性がみごとに表現されています。

そして、1回目の「わたしは男の子」発言です。

「泣きながら鏡の
 前で踊る ゆらりゆらり俄(にわ)か雨
 水中メガネをつけたら
 わたしは男の子」

「俄(にわ)か雨」とは、もちろん「涙」の比喩です。
記憶の底から上がってみると、去年の夏との変わりように
思わず涙があふれてきたのでしょうか。

あるいは、悲しい気持ちをごまかそうとフザけたふりをして
(涙を見せないように)水中メガネをつけたのかも知れません。

「わたしは男の子」とは、どういう意味でしょうか。

あなたから飽きられてしまったのは、
わたしが女の子らしくないから…という自虐なのか。
あるいは、わたしがもし男の子だったら、
性別など気にせず遊べるのに…そんな願望なのか。

「水中メガネ」をつけることで、幸福だった夏の記憶と
二人で一緒にいるのに孤独を感じている現実とが
二重映しになって見えてくる、そんな視覚効果があります。

「微(かす)かな潮騒 空耳なのかな
 無言の会話が きしむ音かな

 あなたは無視して漫画にくすくす
 わたしは孤独に泳ぎだしそう」

去年の夏、いっしょに聞いていた波の音さえ
「無言の会話が きしむ音」に変わってしまう残酷さ。
二人の関係を音で表現する巧みな比喩です。

「熱帯の魚と
 じゃれるように暑い暑い夏の夜
 心はこんなに冷たい
 わたしは男の子」

「暑い暑い夏の夜」に、「心はこんなに冷たい」と、
温度の対比で、孤独感を際立たせてからの
2度目の「わたしは男の子」発言です。
その裏にあるのは、どんな思いなのでしょうか。

孤独な海を泳いで、心が冷たくなるのは、
わたしが女の子らしくないから…、という自己否定なのか?
「女の子」あつかいされて、ホントの私を見てもらえないなら、
いっそ「男の子」になりたい…、そんな気持ちなのか?
たぶん、そのあいだで揺れているのでしょう。

そんななかで、生々しくよみがえってくるのは…

「岩陰でいちゃついてた あの夏の匂い」

「水中メガネ」による記憶と現実の二重映しの視覚
「潮騒」「無言の会話がきしむ音」という聴覚
「暑い夏の夜」「冷たい心」という温度感覚
そしてここでは、「いちゃついてた」という触覚と、
それらを思い出す「夏の匂い」という嗅覚です。

五感や体性感覚をあらわす言葉によって、
聴き手の経験や記憶のなかの感覚が呼び覚まされ、
歌詞の世界がリアルなものとして想像できます。

夏の思い出があふれて、波のように打ち寄せるなか、
せつない想いも極まって、曲はエンディングを迎えます。

「一人 鏡の
 前で踊る ゆらりゆらり俄(にわ)か雨
 水中メガネを
 外せば
 見知らぬ女の子」

最後の「見知らぬ女の子」とは、どういう意味でしょうか。

“これまでのような私”でないことは明らかですが、
この歌は、自分が自分でなくなってしまったことを
自己喪失の悲しい歌として描いているのでしょうか。
たぶん、そうではないと思います。
(そんな失恋ソングは山ほどありますが)

自分が変わったことがよかったのか、悪かったのか、
それは、これからの彼女にしかわかりません。
この後の二人の関係については、相手の男の子が
どう変わるか(あるいは変わらないか)にもよります。

よく、“恋は人を成長させる”なんて言われます。
それは“恋愛ごっこ”がうまくなるということではなく、
恋という経験が自分を作り直すきっかけになるからです。

最後の「見知らぬ女の子」という言葉には
「変わっても、君は君だから。きっと大丈夫。」
そんな作者の優しさが込められている気がします。

では、もう一度。こんどは作曲を手がけた
草野マサムネのカバー(2015)で聴いてみましょう。
こちらも、なかなかよきです。

22歳(+37)が選んだ「夏うた」 (その9)

今回の“夏うた”は、スチャダラパー「サマージャム’95」です。

スチャダラパーは、3人組のヒップホップ・ユニットで、
1994年にリリースした小沢健二とのコラボ曲
「今夜はブギー・バック」で大ブレイクしました。

マッチョな“ゴリゴリ系”ラップではなく、“オモロ・ラップ”。
コミカルな歌詞(リリック)の魅力にハマって、
ヒップホップ系の音楽を知らない私でも当時よく聴きました。

“夏うた”といえば、ノリノリで盛り上がろうぜ!とか、
爽やかな青春のシーンに似合う応援ソングだとか、
ひと夏のせつない恋の思い出を歌う曲がほとんどですが、
この「サマージャム’95」は、そうではありません。

インスタ映えするような素敵な夏の思い出ではなく、
等身大の若者(男)たちの “夏のあるあるネタ”です。
(スチャダラパーのメンバーは、昭和40年代前半の生まれ)
むしろ「夏に流されて」ダラダラ過ごしてしまう、
ダメダメな若者の日常をゆる~い感じで歌っています。

「みんな そそのかされちまう
 ついつい流されちまう
 結局暑さで まいっちまう
 誰のせい?それはあれだ!夏のせい」
(「サマージャム’95」スチャダラパー 1995)

全歌詞は、こちらからどうぞ。
https://www.uta-net.com/song/22745/

この曲がリリースされた1995(平成7)年といえば、
ほとんどの若者がまだケータイ電話を持ってなくて、
インターネットも普及していなかった頃です。
(※1995年の携帯電話の普及率は10%程度、
インターネットの普及率は調査が開始された1996年で3.3%)

21世紀生まれの世代には、わかりにくい歌詞かも知れません。

「ワーイ 手離しで浮かれたい 夏大好き とか言っちゃったり
 ってのが出来ない 構えちまう 安々と乗ってたまるかってところもある
 なーんて言いながらも 夏用のテープとかはしっかり作るのよ
 “サマージャム’95” なんつって 必ず直球のタイトルつけちゃってね」
 (「サマージャム’95」スチャダラパー 1995)

「夏用のテープ」というのは “カセットテープ”のことですが、
実物は、こんなのです。

昭和生まれの若者は、音楽をラジオやレコード(後にCD)から
この “カセットテープ”に録音して、持ち運んでいました。

“夏うた2023”とか、直球のタイトルをつけちゃったりして、
カーステレオでテープの曲を流しながらドライブしたり、
好きな人に自分が作ったテープをあげたりしていたのです。

「そーそ となりにキャワユイ ギャル 乗っけて
 湾岸流すなんて よからぬ絵 描いちゃってね
 「この曲好き」  なんて言われちゃう感じね
 「アレ なんかいい風」  とかね
 夏に流されちゃダメって思いながらね
 イキのいい車に道あけつつも
 夢のひとつも 語っちゃったりすんの」
(「サマージャム’95」スチャダラパー 1995)

ドラマやコントなどで、よく描かれるシーンとセリフです。
この歌詞の前に「みんなで徹夜あけ レンタカーで」とあるので、
彼らはだれも自分の車を持ってないようです。

「よからぬ絵 描いちゃってね」ともあるので
当時の男たちがあこがれた、あるあるネタですね。
妄想はさらに続きます。

「そーなるって事は もーあれだ
 熱めのお茶だ 意味深(しん)なシャワーだ
 で 手もちぶさたでつけた ラジオから
 こんな曲 流れたりすんだ」
(「サマージャム’95」スチャダラパー 1995)

熱めのお茶だ 意味深なシャワーだ」とは
サザンオースルターズ「夏をあきらめて」からの引用、
和歌の世界では、“本歌取り”と呼ばれる手法です。

「潮風が騒げば やがて雨の合図
 悔しげな彼女とかけこむ Pacific Hotel
 うらめしげにガラスごしに 背中で見てる渚よ
 腰のあたりまで切れ込む 水着も見れない
 熱めのお茶を飲み 意味シンなシャワーで
 恋人も泣いてる あきらめの夏」
(「夏をあきらめて」サザンオールスターズ 1982)

サザンには、素晴らしい“夏うた”がたくさんありますが、
この「夏をあきらめて」も、そんな名曲の一つです。

また、ヒップホップの曲には、別の曲の一部分を使って
新しい音楽を作る“サンプリング”と呼ばれる手法があります。
この「サマージャム’95」では、ジャズのヴィブラフォン奏者、
ボビー・ハッチャーソン「Montara(モンタラ)」(1975)
という楽曲がサンプリングされています。

元ネタに興味のある方は、こちらもどうぞ。

22歳(+37)が選んだ「夏うた」 (その8)

22歳の若者たちに好きな「夏うた」を選んでもらったので、
昭和世代の私も、記憶の片隅に残っている歌の中から、
これは!と思う楽曲をピックアップしてみました。

今回、私が好きな “夏うた”の1位に選んだのは、
井上陽水の「結詞」(むすびことば)です。

一般的な意見としては、井上陽水の“夏の歌”で、
いちばん人気があるのは、たぶん「少年時代」でしょう。

夏が過ぎ 風あざみ
 誰のあこがれにさまよう
 青空に残された 私の心は夏模様
(井上陽水「少年時代」1990)

もちろん私も大好きな曲ですが、夏になると、
「みんなこういう曲が好きでしょ?」とばかりに
TVやラジオでくり返し流れされるので避けました。

なるべく若い世代の知らない過去の名曲を紹介したい、
そんな思いで、今回は「結詞」を選びました。

この「結詞」は、井上陽水が1976(昭和51)年にリリースした
アルバム『招待状のないショー』を締めくくる曲です。

とくに驚いてほしいのは、この曲の歌詞です。

浅き夢 淡き恋
 遠き道 青き空

 今日をかけめぐるも 立ち止るも
 青き 青き空の 下の出来事

 迷い雲 白き夏
 ひとり旅 永き冬

 春を想い出すも 忘れるも
 遠き 遠き道の 途中での事
(井上陽水「結詞」1976)

歌詞は、たったのこれだけです。

この歌では、主人公の心情が何も説明されず、
ドラマチックなストーリーも描かれません。

いまどきの、歌詞が長くて難解なJポップや
饒舌なラップであれこれ主張したがる楽曲とは
まったく対極に位置するような歌詞です。

昔の人間にラップの歌詞がよくわからないように、
「結詞」の歌詞は、短すぎてよくわからない…、
そんな風に感じる若い世代もいるかもしれません。

では、ライブ動画で聴いてみましょう。

歌詞の中には、“冬”や“春”という言葉もあるので、
“夏”限定の歌というわけではありませんが、
私にとっては、とくに「白き夏」という歌詞で
夏のイメージの強い曲になっています。

「白き夏」とは、どんな夏でしょうか。

夏らしい“白い色”とは、たとえば白い夏服や帽子、白の水着、
ヨットやパラソル、デッキシューズなどが思い浮かびますが、
一般に夏の色といえば、海や青春の“”、太陽や情熱の“”、
あるいは焼けた“小麦色”の肌、といったところでしょうか。

目を閉じて、白い夏の景色を思い出してみましょう。
うるさいセミの声、強烈な夏の陽ざし、
照り返しがまぶしくて、道も白くぼやけている…。


(高野文子「玄関」『絶対安全剃刀』1982年)

そんな景色は歌詞には描かれていませんが、
「白き夏」という、ただそれだけの言葉が、
遠い日の、白い夏の映像を呼び覚ましてくれます。

短い歌詞の中には、ほかにも「浅き夢」 「淡き恋」など、
聴き手の誰もが思いあたる経験や出来事をあらわす言葉が、
まるで作品のタイトルのように並んでいます。

遠き道」とは、“人生”の比喩だと解釈できますが、
聞き手は、これらのシンプルな歌詞の余白に、
人生の途中でのさまざまな想いをめぐらせることができます。
いわば、齢を重ねるごとに深く心に刻まれる名曲です。

この曲は、1992年からJR東日本のキャンペーン広告
その先の日本へ。」のコマーシャルでも使われました。

「その先の日本へ。」というコピーを書いた秋山晶さんは、
当時、CMプランナーであった岡康道さん(2020年没)が
井上陽水のすべての曲を繰り返し聴いた上で、
この「結詞」をBGMに選んだと書き残しています。

後に岡康道さんは、大手広告代理店を辞めて独立しましたが、
まだ会社員としてこのJR東日本の広告をつくっていた当時、
“人生という旅”について、こんな想いを抱えていたそうです。

「…地図も手に入らず、目的地も茫然とした靄の中だ。しかし、それでも旅に出たくなるのはなぜだろう。
 東長崎のアパートを出て通勤の地下鉄のホームで、会社のエレベーターの隅っこで、ベッドの中で眠りにはいる直前にも、いつもどこからか、ある声が聞こえてくる。
「ここより、他の場所へ」  
(岡康道「ここより、他の場所へ」『岡康道の仕事と周辺』1997)

この「結詞」は、人生とはひとつの旅であることを
あらためて思い起こさせてくれる名曲の一つです。

22歳が選んだ「夏うた」 (その7)

Mr.Childrenの代表曲の一つ「HANABI」(2008年)は、
医療ドラマ『コード・ブルー』の主題歌として作られた事情もあって、
これまで紹介した“夏の恋うた”とは、かなり印象が違います。

(※今回、タイトルや歌詞に“夏”という言葉が入ってなくても、
選んだ人が夏をイメージする曲であれば“夏うた”としました。)

この「HANABI」には、「何度でも君に逢いたい」とか、
めぐり逢えたことでこんなに 世界が美しく見える」とか、
君を強く焼き付けたい」といったフレーズがあるので、
ラブソングとして聴くこともできるのですが、
どちらかといえば、Mr.Childrenらしい人生の応援ソングです。

では、聴いてみましょう。

「HANABI」の歌詞の主人公は、
この世界と、自分の生き方について問いかけます。

どれくらいの値打ちがあるだろう?
 僕が今生きているこの世界に

一体どんな理想を描いたらいい?
 どんな希望を抱き進んだらいい?

現実に安住して生きる人からは「マジメか!」とか
「そんなん知らんし」とツッコミを入れられるほどの
真摯な自問自答が、ミスチル的世界への入口です。

ちょっと疲れてんのかなぁ」とか
君がいたらなんていうかなぁ
  「暗い」と茶化して笑うのかなぁ」と
冷静に自分を客観視しようと努めながらも、
「…なのかなぁ」とつい疑問形になってしまう。

こうした問いかけが、聴き手の心を揺さぶります。
まったく考えたことのない疑問は、軽い驚きとして。
同じように考えたことのある問題は、強い共感として。

誰も皆 問題を抱えている
 だけど素敵な明日を願っている
 臆病風に吹かれて 波風がたった世界を
 どれだけ愛することができるだろう?
(「HANABI」Mr.Children  2008)

波風のたつ世界で、疑いや憂鬱を抱えながら、
信じられる何かを求めて人生の旅を続ける主人公は、
自分自身と対話し、困難をのり越えようとします。

その姿は、仕事や勉強やボランティアなど、
日々、闘い続ける私たちの自己像でもあります。
だから、「もう一回 もう一回」と聴くたび
もう一度信じてがんばろうと勇気がわいてきます。

決して捕まえることの出来ない
 花火のような光だとしたって
 もう一回 もう一回
 もう一回 もう一回
 僕はこの手を伸ばしたい
(「HANABI」Mr.Children 2008)

こんな世界にも、美しく輝く愛おしい瞬間がある。
花火のように心に広がるサウンドと言葉の力が、
今日も誰かを元気づけていることでしょう。

「HANABI」を含めたMr.Childrenの楽曲の数々が
30年以上の間、どれだけの人を力づけてきたかと思うと、
その尊さは思わず手を合わせるほどです。(合掌)

22歳が選んだ「夏うた」 (その6)

小学生の息子に「俺、ポルノが好き!」と言われて
母親が驚きあわてたという笑い話を聞いたことがあります。
よくよく聞けばバンド名で、ほっと安心したとか。

そんな「ポルノグラフィティ」の数ある名曲のなかで、
今回の“夏うた”に選ばれたのが「ミュージック・アワー」。

歌詞は、ラジオのDJがリスナーの恋の悩みに答える設定で、
アーティストとファンの幸福な関係が歌われています。

ここでおハガキを一通
 R.N(ラジオ・ネーム) “恋するウサギ”ちゃん
 “なぜ人を好きになると こんなにも苦しいのでしょう?”
(「ミュージック・アワー」 ポルノグラフィティ 2000)

恋をすると、なぜ苦しくなるのでしょうね。

DJはその理由を、わかりやすく説明してくれます。

それは心が君のこと 急(せ)かして蹴飛ばしているから

なるほど!
急(せ)かす心と、冷静な理性とのギャップ、
その葛藤でだんだん胸が苦しくなっていくんですね。

キミが胸を焦がすから 夏が熱を帯びてく
 そして僕は渚へと 誘うナンバーを届けてあげる

思わず体ごと誘われるノリノリのサウンド、
最後のサビのフレーズはこんな感じです。

キミが夢を願うから ミュージシャンも張り切って
 また今年も渚には 新しいナンバー溢れていくよ

そういえば、今回選んでもらった “夏うた”のナンバーの
ほとんどが夏を舞台としたラブソングでした。
そして毎年、新しい夏の恋へと誘う歌が届けられます。

というのも、昔から流行歌(ポピュラーソング)の王道は、
“恋”の歌と相場が決まっているからです。

昔から人は、恋の歌で互いに心をなぐさめたり、
恋の物語を楽しんで、盛り上がってきたようです。

たとえば、平成の“恋するウサギ”ちゃんの
約1300年前から恋の苦しみが歌われています。

キュンキュンして死にそう♡」
 っていったら「死ね」っていわれるし
 世間は冷たいもんや
(『愛するよりも愛されたい』佐々木良
令和言葉・奈良弁で訳した万葉集①)

恋(こ)ひ死なば 恋(こ)ひも死ねとや
 玉桙(たまほこ)の道行く人の言(こと)も告(の)らなく
(巻十一:2370番歌)

こんな歌が選ばれて、今に残されているということは、
「恋をしてると人から冷たい言葉を浴びせられるよなぁ」と
この歌(=ナンバー)の心に共感して届けてくれた人、
今であればDJのような人物がいたということです。

ちなみに、「ミュージック・アワー」のDJは、
“恋するウサギ”ちゃんや私たちリスナーに
こんな優しい恋のアドバイスを届けてくれています。

大好きだから踏み出せない 大好きだから臆病になる
強い人にはなれそうにもない 揺れてる君でいいよ

では、アーティストとファンが一体となって
ノリノリで揺れてる「ミュージック・アワー」をどうぞ。

22歳が選んだ「夏うた」 (その5)

今回は “夏うた”に登場する男性について
その両極端のタイプをピックアップしてみます。
サンプルは、back numberの「わたがし」と
湘南乃風の「睡蓮花」に描かれた男性像です。

この2つの曲に登場する主人公の男は、
女性へのアプローチの仕方がまったく違います。

「わたがし」の男は、どんなタイプでしょうか。
まずは、曲を聴いてみましょう。

想いがあふれたらどうやって
 どんなきっかけタイミングで
 手を繋いだらいいんだろう
 どう見ても柔らかい君の手を
 どんな強さでつかんで
 どんな顔で見つめればいいの
(「わたがし」back number 2012)

シャイな男子には、あるあるネタですね。
私も10代の頃はそうでした。(遠い目)
いまは男女問わず、多くの人がそうかもしれません。

手をつないだら、またその次の段階があるわけで、
“正しい”恋愛のやり方に悩む男の子にとって
最も必要なものは正解よりも、勇気だったりします。

さて、もう一方の「睡蓮花」の男は、どんなタイプでしょうか。

また始まった 真っ裸(ぱ)で走り出したSeason
 夏は好きか? 間違って交わった 砂浜のReason
 付き合ってみな 目が合って 気が合って
 マジになったSeason 欲望のまんま!!
(「睡蓮花」湘南乃風 2007)

こちらの男は、ぐずぐず悩む前に走り出しています。
欲望のままに “間違って”交わろうがどうしようが、
付き合ってみりゃいいじゃん、と誘いかけてます。
俗にいう “パリピ男子”のようです。

「わたがし」の男は、浴衣姿の似合う彼女を
夏祭りに誘えただけで「泣きそうだ」と言ってるのに、
「睡蓮花」の男は、「悪ノリのHeartbeat」で
暴れまくってイイぜ!!」とタオルをふり回してます。

経験の有無が、男の考え方を大きく変えてしまうのか?
性格の違いが、男の行動パターンを分けてしまうのか?

グズグズな僕と、ゴリゴリな俺、
あなたが女の子なら、どちらと付き合いたいですか?

横にいるだけじゃ駄目なんだ
 もう君の気を引ける話題なんて
 とっくに底をついて
 残されてる言葉はもう
 わかってるけど
(「わたがし」back number 2012)

残されてる言葉」とは、たぶん「好きです」とか
「付き合ってください」といった告白でしょうね。

二人は、帰りに手をつなぐことができたのか。
“わたがし”が溶けるような、甘いキスはできたのか。

この曲は、二人の関係を結末まで描いていません。
恋愛というモヤモヤして落ち着かない感情を
リアルに聴き手に想像させる構成になっていて、
恋の「もどかしさ」が巧みに表現されています。

告白寸前のギリギリの心情が描かれることで、
聞き手は、告白すんのかいせんのかいと焦らされ、
過去のドキドキした経験を思い出したりします。

一方の「睡蓮花」の男は、とてもワイルドで直情的です。
歌詞を読んでも、何を言いたいのか正直よくわかりません。
もう一度、確かめてみましょう。

睡蓮の花のように…」と抒情的に歌いかけたと思えば、
濡れたまんまでイッちゃって!!!」と下ネタをぶちかます。
ベッドで涙を浮かべ」、「寂しくなんかねぇ‼」と独りごち、
地面向いて足踏みしてるんじゃねぇ!」と説教を垂れ、
出会って泣いて、笑って泣いて」を繰り返す。

まるで情緒不安定。内容は、ほぼ支離滅裂。
しかし、この“なんでもあり”の自由さこそが「睡蓮花」の魅力です。
大切なのは理屈ではなく、ノリ(=バイブス)なのです。

下品とか頭悪そうとか、嫌う女性もいるかもしれません。
しかし「睡蓮花」の男の強みは、平気でバカになれることです。
間違ったり、失敗して笑われることを恐れないことです。

その逆に、ナイーブな恋に悩む「わたがし」の男の子は、
バカになる勇気がまだ足りないのかもしれません。

さて、「わたがし」の男と「睡蓮花」の男を、
異なる両極端のタイプとして紹介してきましたが、
実は、どんな男もその両面を隠し持っているわけで、
「わたがし」の男が、バカになって楽しむこともあれば、
「睡蓮花」の男が、ナイーブな恋に悩むこともあります。

それは、ビーチでナンパ待ちをする水着のギャルが
「わたがし」をプレイリストに入れて聴いていたり、
水色にはなびらの浴衣が似合う清楚な女の子が、
「睡蓮花」でタオルを回すこともあるのと同じです。

男であれ女であれ、他者とは永遠の謎なのです。

22歳が選んだ「夏うた」 (その4)

今回は、ガールズバンド対決!
SHISHAMOの「君と夏フェス」(2014)と、
SILENT SIRENの「八月の夜」(2015)の2曲です。

ガールズバンドについては、ほとんど知りません。
SHISHAMOは、ぱっつん前髪のボーカルの印象しかなくて、
SILENT SIRENは、今回はじめて聞きました。

この2曲に限っていえば、「八月の夜」の方が好みで、
1回聞いただけで、そのノリのよさにシビレました。

SHISHAMOは、高校の軽音楽部で結成したバンドで、
この「君と夏フェス」は、なんと高校卒業の翌年に発表し
スマッシュヒットを記録した曲だそうです。凄いですね。

歌詞は、「まだ照れ臭い」関係の男の子を誘って
夏フェスに参加し、やらかしてしまった女の子の内面を
可愛いらしく、コミカルに描いたストーリーです。

10代ならではの、はじけるような元気感と
ウブな恋心をぎゅっとパックしたような一曲です。

この曲の歌詞に仕掛けられたギミックは、
止まらない」というキーワードです。

ライブの前には「止まらないのは私の汗」、
止まらないのは夏への期待」とあって、
ライブが終われば、置き去りにしてしまった彼と
時間が止まっているみたい」と見つめ合う
ちょっと気まずい瞬間がやってきます。

しかし、彼のやさしい言葉によって、
なんとも照れ臭いハッピーエンドを迎えます。

止まらないのは二人の恋だ
 今年の夏よ 終わらないでよ

そう。
曲は終わっても、二人の夏は永遠なのです。

ところで、実際に夏フェスに行ったことのある
10代って、どれくらいいるのでしょうか。

「ラインリサーチ」の2023年の調査によると、
音楽フェスに参加したことのある人は、
10代では18%(男性:21%、女性:15%)だそう。

ただ、大きな野外フェスだと交通費もかかるし、
お金のない10代(とくに地方在住の若者)だと、
はるかに低い数字なのではないでしょうか。

そういう意味でも、10代の若者にとって
「君と夏フェス」に行くなんていう体験は、
いつかは…とあこがれてしまう場面です。

さて一方。
SILENT SIRENも人気ガールズバンドですが、
こちらはファッション誌の読者モデルによって
結成されたバンドだそうです。(どうりで可愛い)

「八月の夜」という曲は、「微妙な距離」の二人が
迷路を進んでくように」探り合いながら、
だんだん距離を縮めてゆくストーリーになっています。

主人公は、さっきの夏フェスの二人よりもオトナです。
(ミュージックビデオでは、大学生の設定のようです)

とりあえず、聴いてみましょう。

歌詞も、10代の若者にはちょっと理解しにくい、
大人仕様のレトリックが駆使されています。
たとえば、こんな表現。

さら さら さら さら なびくふたりの
 まだ まだ まだ まだ 微妙な距離も
 ゆら ゆら ゆら ゆら 揺れる気持ちも
 微(かす)かに指先が君に
 振れる 触れ 溢れ 重なる

歌詞をよく読まないと気づかない差異ですが
この「指先」は、歌の途中で「唇」へと変わります。

微(かす)かに が君に
 振れる 触れ 溢れ 重なる

「フレル・フレ・アフレ」という音も心地よいのですが、
心と体が振れる、触れて、溢れて、重なるという
性愛のイメージへと導く一連のたたみかけが見事です。

ウブな男子だと、ころ ころ ころ ころ 転がされそう。

そして曲の最後では、こうなっています。

八月の夜にふたりは
 振れる 触れ 溢れ 重なる

秘めやかな「八月の夜」のドラマが
疾走感のある軽快なサウンドに乗って
アニメ声のボーカルで歌われるのですから、
その手のカワイイ系女子が好きな男子には
たまらない魅力なのじゃないか。

あざとさ上等!

そんな言葉さえ思い浮かべてしまう名曲です。