9月の名曲と言えば…(その2)

今回紹介する9月の名曲は、
竹内まりや「September」(1979)です。

前回のウェットな「九月の雨」の世界とは一転して、
澄んだ秋の景色に似合う、ポップな失恋ソングです。

当時、こうした歌謡曲がどうやって制作されていたのか、
ネットで見つけたプロデューサーの記事を参考に
この楽曲について、あれこれ考えてみます。

私がこの曲を初めて聴いたのは、中学生のときでした。
歌詞がよくわからなくても、とくに気にすることなく、
キャッチーなサウンドにハマって、すぐ好きになりました。
歌詞の冒頭は、こんな感じです。

からし色のシャツ追いながら
飛び乗った電車のドア
いけないと知りながら
ふりむけばかくれた
(竹内まりや「September」1979)

誰が誰を追いかけ、なぜかくれたのか?
この部分だけでは状況がよくわかりませんが
悪いことをしてるような秘密めいた歌い出しで
聴き手を引きつける技巧は、さすがです。

この後の展開で、年上の女性に会いに行く彼を
ヒロインの女の子が追いかけている設定だとわかります。
しかし、その女性に「彼を返して」と頼む勇気はなく、
“秋”に変わった(=私に“飽き”てしまった)彼に
女の子の側からさよならをするというストーリーです。

セプテンバー そしてあなたは
セプテンバー 秋に変った
私一人が傷つくことが
残されたやさしさね

当時のプロデューサー宮田茂樹氏が明かした裏話によると、
「9月」をテーマにした理由について、こう述べています。

9月は大学生達にとって特別な意味があると思ったのです。ご存知のように欧米の大学(学校)は9月から新年度が始まる。夏休みともなれば付き合っているカップルもそれぞれの故郷に帰り、離ればなれに過ごし、いろいろな夏の出来事を経験したあとで、9月になればもう一度逢える。でも9月には別れが待っているのかもしれない、そんな大学生の、今風に言えば恋バナをテーマにしようと考えました。
(宮田茂樹「1979年の本日リリース、竹内まりや「SEPTEMBER」制作時の話」
大人のミュージックカレンダー  http://music-calendar.jp/2017082101

流行歌は、大衆の欲望やあこがれを映し出す鏡です。
欧米の大学生の“9月の恋バナ”をテーマにするということは、
当時の若者がそんなキャンパス・ライフに憧れていた、
(少なくとも制作者はそう考えていた)ということです。

ただ、日本の若者には9月は2学期の始まりでしかありません。
(今では学校嫌いの小中高生の自殺が多いのが9月1日です)
欧米の大学生には9月に特別な意味があるか知りませんが、
なぜこの日本で“大学生の恋バナ”をテーマに選んだのでしょうか。

その裏には、シンガーである竹内まりやと楽曲のイメージを
結びつけるプロモーション戦略があったようです。
当時の竹内は、留学経験がある慶應大学の学生でした。
いわば“英語が得意な、オシャレで可愛い女子大生”
そんなパブリック・イメージで売り出されたアイドルでした。
(※1979年の4年制大学への女子の進学率は12.2 %)

楽曲制作にあたって、プロデューサーの宮田氏は迷うことなく、
作詞を松本隆に、作曲を林哲司に依頼したそうです。

林さんへの要望はフック・ラインにSEPTEMBERを使ってほしい、テンポはBPM90くらい、とそれだけでした。
松本さんとの仕事は初めてでしたが、キャンパス・ライフ、夏休み、出会いや別れ、秋の切なさ、ブラッドベリーの“10月は黄昏の国”風味、こんなプロットを織り込んで一級品に仕上げることのできる作詞家は彼しかいないと思ってましたので、初顔合わせの打ち合わせも滞りなくすませることができました。
(宮田茂樹「1979年の本日リリース、竹内まりや「SEPTEMBER」制作時の話」大人のミュージックカレンダー)

キャンパス・ライフ、夏休み、出会いや別れ、秋の切なさ、
ブラッドベリーの“10月は黄昏の国”風味」というような言葉で
作詞家・松本隆へのディレクションがなされたようです。

プロデューサーからの指示を受けて、松本隆は
次のようなフレーズを巧みに歌詞に織り込んでいます。

「街は色づいたクレヨン画 涙まで染めて走る」

「夏の日ざしが弱まるように 心に影がさした」

「ほどけかけてる 愛のむすび目 涙が木(こ)の葉になる」

「めぐる季節の色どりの中 一番さみしい月」

「トリコロールの海辺の服も 二度と着ることはない」…

「セプテンバー そして九月は
 セプテンバー さよならの国」

この「九月は…さよならの国」という比喩は、
『10月はたそがれの国』というレイ・ブラッドベリの
短編集のタイトルをヒントにしたのかも知れません。

ただ、この「September」の歌詞を読んでも、
“キャンパス・ライフ”のイメージはほぼありません。
この曲を口ずさんでいた私は、この歌の主人公が
大学生だとはまったく想像できませんでした。

歌詞のなかの「ディクショナリー」という言葉が
唯一、学生らしいシンボルとして使われていますが、
英語の辞書なら、当時の中高生も持っていました。
結果的に、“キャンパス・ライフ”に限定しない方が、
詞の世界を自由に想像できてよかったと思います。

この「ディクショナリー」という歌詞については、
プロデューサーの興味深いエピソードが語られていました。
それは、いざ歌入れの段階になって、竹内まりやが
「“借りていたディクショナリ”なんて歌いたくないわ。
だってふつう使わないでしょ」とゴネたという話です。

この歌詞は、楽曲の最大のフックとなる部分です。

借りていたディクショナリー 明日返すわ
ラブという言葉だけ 切り抜いた跡
それがグッド・バイ  グッド・バイ

借りていた辞書の【love】の文字だけを切り抜いて
相手に返すという歌詞は、中学生ながら衝撃的でした。
電子辞書やスマホの時代の若者には、紙の辞書を
貸し借りする関係がピンとこないかもしれません。

人から借りた辞書を破損することの是非とか、
相手がそれに気づくかどうかといった問題を超えて、
傷ついて、失くした【愛】の巧みな比喩となっています。

なぜ、竹内は「借りていたディクショナリー」なんて
歌いたくないと言ったのでしょうか。

たしかに、日常会話でそんな言いかたはしません。
そんな人間がいるとすれば、なにかと横文字を使って
自分の“知性”をアピールしたがる嫌味なヤツです。

勝手な想像をすれば、英語の得意な大学生アイドルとして
レコード会社の戦略に乗って売り出された竹内まりやは、
自分のイメージと楽曲(歌詞のヒロイン像)を結びつけられ、
誤解されるのが嫌だったのではないでしょうか。

実際、アイドルになりたかったわけではない竹内は、
周囲の大人たちから求められる芸能路線と、
自分が望む音楽活動の間で苦しんでいたそうです。

その後、1982年にミュージシャンの山下達郎と結婚。
自身も楽曲を制作し、他の歌手にも提供してヒットを連発、
Jポップを代表するシンガソング・ライターとなります。

たとえば、近年の“シティ・ポップ”ブームのなかで
海外から再注目された楽曲が「プラスティック・ラブ」
(1984年リリース、詞・作曲:竹内まりや、編曲:山下達郎)
2019年には、クールでカッコいい楽曲の世界観を
見事に映像化したPVが制作されてます。これは必聴。

9月の名曲と言えば…(その1)

昭和歌謡を代表する9月の曲といえば、
太田裕美「九月の雨」(1977)と
竹内まりや「September」 (1979)です。

どちらも巧みなリリックとキャッチーなサウンドがあいまって、
今でも愛され、カバーされ続けているポップスです。

まずは、「九月の雨」から聴いてみましょう。

作詞は松本隆、作曲は筒美京平という最強タッグ。
このコンビは、「木綿のハンカチーフ」をはじめ
太田裕美のシングルを数多く手がけています。

イントロは、降ってくる雨のようなピアノの音から始まり、
情感あふれるコーラスとストリングスが重なって
歌い出しまでの20秒で、早くも心をつかまれてしまいます。
波乱含みのドラマを予感させるようなサウンドです。

車のワイパー 透かして見てた
都会にうず巻く イリュミネーション
くちびる噛みしめ タクシーの中で
あなたの住所を ポツリと告げた

ヒロインの女性は、どうやらタクシーに乗って
彼の家へ向かおうとしているらしい。
しかし、「くちびる噛みしめ」という表情から
必死に感情をこらえていることがわかります。

また、「ポツリと告げた」という言葉からは
彼に会うことへのためらいや葛藤がうかがえます。
こらえていた涙がポツリとこぼれるように、
住所を告げてしまった、そんな感じでしょうか。

いったい二人の間に、何があったのか。
どきどきするサスペンスドラマのような展開です。

September rain rain
九月の雨は 冷たくて
September rain rain  
想い出にさえ 沁みている

愛がこんなに辛いものなら 
私ひとりで生きてゆけない
September rain 
九月の雨は 冷たくて

ここで、ヒロインが辛い愛を抱えていることがわかります。
私ひとりで生きてゆけない」という言葉から、
別れを告げた男のもとへ向かっているのだろうか…、
二人はこの後どうなるのか…、想像がかき立てられます。

“冷たい雨”といえば、ユーミン(当時は荒井由実)が作った
1970年代を代表する失恋ソングがありました。

冷たい雨にうたれて 街をさまよったの
もう許してくれたって いい頃だと思った
部屋にもどって ドアを開けたら
あなたの靴と誰かの赤い靴

あなたは別の人と ここで暮らすというの
こんな気持ちのままじゃ どこへも行けやしない
(「冷たい雨」詞・曲:荒井由実1975)

松本隆がどこまで意識していたかわかりませんが、
聴き手にとっては、そうした過去の名曲と二重映しになって、
歌詞の言葉がいちだんと沁みることがあります。

1976年リリースのハイ・ファイ・セットの歌でどうぞ。

では「九月の雨」の続き。

ガラスを飛び去る公園通り
あなたと座った椅子も濡れてる

先ほどの、冷たい雨(=男の冷たい仕打ち)が
思い出にさえ 沁みている」という言葉を受けて、
幸せな気分でデートしていた想い出のベンチが
雨に濡れている光景が歌われています。
それを見つめる彼女の瞳も濡れていることでしょう。

さっきの電話で あなたの肩の
近くで笑った女(ひと)は誰なの?

出ました!衝撃的な女性の影です。
さっきの電話」とは、彼からの別れ話の電話だったのか、
あるいは、彼のそばで(まさかベッドの隣で?)
電話越しに聞こえた女性の笑い声が気になって、
彼のもとへ向かわずにいられなかったのか。

いずれにしろ、彼の心は離れてしまったという現実が
彼女を静かな悲しみの中に置き去りにします。

愛がこんなに悲しいのなら
あなたの腕にたどりつけない
September rain
九月の雨の 静けさが

ここでとつぜん転調して音階が上がり、
聴き手の緊迫感がさらに高まったところで、
ヒロインの叶わぬ思いが吐露されます。

季節に褪(あ)せない 心があれば
人ってどんなに幸せかしら

ライトに浮かんで 流れる傘に
あの日の二人が見える気もした

この「見える気もした」の“”が凄いです。
“気がした”と “気もした”では、印象がどう変わるのか。

あの日の二人が見える“気がした”のなら、
少なくとも思い出は確かなものだったと信じていますが
見える気もした」だと、もっと弱気な感じがします。
この“も”の一語が、彼女の中に浮かんでは消え、
さまざまに入り乱れる思いを表現しています。

たとえば…
自分はほんとうは愛されてなかったのではないか?
自分だけが愛だと思い込んでいたのではないか?
そんな悲しすぎる疑いさえも浮かんだことでしょう。

だから彼女は、消えかけている「あの日の二人」を
揺れる思いで「見える気もした」としか言えないのです。

ここで終われば、悲しいだけの失恋ソングですが、
この歌では、「季節に褪せない心」を求めながら
冷たく変わってしまった現実を受け止めるヒロインに、
ひとつの“気づき”が訪れます。

それは、相手が愛を消そうとするのなら、
自分はそんな過去にとらわれることはやめて、
明日を向いて歩き出そうという決意です。

September rain rain
九月の雨は優しくて
September rain rain
涙も洗い流すのね

愛が昨日を消して行くなら
私明日に歩いてくだけ
September rain
九月の雨は冷たくて
September rain
九月の雨は優しくて

歌のなかで“雨”は“涙”の比喩としてよく使われますが、
この曲では、つらい現実を洗い流すという発想で、
冷たい雨が、優しい雨へと変わっています。

こんな結末が待っていたとは! 知ってるけど、
何度聴いても、いやおうなく感動させられます。

私たちを感動させてくれる歌詞の多くは、
記憶に刻まれている言葉のイメージをもとにして、
新たな意味を生み出すよう巧みに構成されています。

この曲の、失恋の涙を洗い流すというモチーフは、
その後、アン・ルイスや山下久美子が歌った
「シャンプー」という名曲にも引き継がれています。
このバラードも、なかなか胸に沁みる傑作です。

シャンプー 短く 切った髪を
泣きながら 洗う あの子
忘れなよ くやしいけど あんなやつのこと
(「シャンプー」1979 詞:康珍化、曲:山下達郎)

長くなったので、
「September」の話は次回に。

22歳(+37)が選んだ「夏うた」 (その11)

9月になりましたが、“夏うた”の残りの講義はあと2曲。
今回は、上々颱風(シャンシャンタイフーン)の「愛より青い海」と、
山下達郎の「LOVELAND, ISLAND(ラブランド、アイランド)」を
いっきに解説します。

どちらにも “愛”や“LOVE”という言葉が使われていますが、
“愛”といっても、現代人のややこしい恋愛模様や
個人的な恋愛ドラマを描くラブソングとはちょっと違って、
もっとスケールの大きな“愛”が歌われています。

まず、上々颱風「愛より青い海」から聴いてみます。
沖縄やアジアの香りがする独特のサウンドと
女性ツインボーカルのハーモニーが魅力的な曲です。

「ただひとつの歌を 歌うために生まれた
 ただひとつの愛を 歌うために生まれた」
(「愛より青い海」上々颱風 1991)

一つひとつの言葉の意味は単純ですが、くり返されると、
だんだん深くて広い意味に感じられてきます。

“ただひとつの歌”、“ただひとつの愛”とは何でしょうか。

たとえば、ミスチルの「HANABI」の歌詞では、
主人公が「世界のすべてが無意味だって思える」と感じ、
こう自分に問いかけていました。

「一体どんな理想を描いたらいい?
 どんな希望を抱き進んだらいい?
 答えようもないその問いかけは
 日常に葬られてく」
(「HANABI」Mr. Children 2008)

そんな私たちの胸に浮かんでは消えてゆく問い、
現代人が抱える “何のために生きるのか” といった
難しい問いについての、とてもシンプルな答えを
この「愛より青い海」に聴くこともできます。

「ただひとつのを 歌うために生まれた
 ただひとつのを 歌うために生まれた
 ただひとつのを 歌うために生まれた
 ただひとつのを 歌うために生まれた」
(「愛より青い海」上々颱風 1991)

そっか。私たちは「歌うために」生まれてきたのか…。

そういえば、国語で習った『古今和歌集』の序にも
「生きているすべてのものが歌をよむ」とありました。

「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。
 …(中略)…生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。」
(『古今和歌集』新編日本古典文学全集11)

でも、「ただひとつの歌」とはどんな歌でしょう。
あるいは、「ただひとつの愛」とは何でしょうか。
いちばん愛している人のことでしょうか。

たぶん、ここで歌われている「ただひとつの」とは、
ただひとりの“私個人”にとっての、という意味ではなくて、
“私たち”人間とって共通の「ただひとつ」だと思います。

「ただひとつの○○を 歌うために生まれた」
舟の櫂をこぐように繰り返される歌を聴いていると、
私たちが共有できる「ただひとつの」ものがある…
そんな想いが浮かんで、心地よい一体感が生まれます。

さらに、私たちに共通する遠い起源へのまなざしで
「みんなおなじ」というイメージが強められています。

「流れゆく白い雲を 追いかけて追いかけて
 人はみな青い海の 向こうからやって来た」
(「愛より青い海」上々颱風 1991)

私たちの祖先は海の向こうからやって来ましたし、
沖縄(琉球)の神話には、遠い海の彼方にある
“ニライカナイ”と呼ばれる理想郷が語られています。
そんな悠久の時間をイメージしながら聴くと、
この曲の味わいがいちだんと深いものになります。

では、次。

山下達郎「LOVELAND, ISLAND」を聴いてみます。

「ラブランド、アイランド」というタイトルからして
“愛”にあふれた素敵な理想郷のような印象です。
いったいどんな“愛”が歌われているのでしょうか。

歌詞の内容をざっくり言うと、
夏の幻のように、どこからか現われた女性が、
砂漠の街をオアシスに変えて、消えてゆく。
そんなストーリーです。

「オアシスに変わる」というのは、その女性が
乾いた心をうるおしてくれたという比喩です。

遠い場所や異世界から“見知らぬもの”が到来して、
幸福(または厄災)をもたらすというストーリーは、
神話やSF、アニメなどの物語の“類型”として、
太古の昔から語られ、人々の想像力を刺激してきました。
この歌詞も、そんな物語の構造を踏襲しています。

ちなみに、日本語の“まつり(祭り)”の語源は、
他界から来訪する神を“まつ(待つ)” に由来しています。
夏フェスに降臨するのは、私たちに元気をくれる
特別な力のあるミュージシャン(=神)ということです。

この楽曲「LOVELAND, ISLAND」では、
まるで伝説が生まれる現場に立ち会ったかのように、
歌詞の最後で主人公(男)の感慨が語られます。

「Oh Loveland
 ふいに現れ消えた
 あの人 きっと夏の女神さ
 光の愛はここにもあると
 Oh Loveland
 教えに来たんだ」
(「LOVELAND, ISLAND」山下達郎 1982)

いったい「光の愛」とは何でしょうか。
よくわかりません。むしろ、わからないからこそ
なんだか素晴らしいものに思えてきます。

“愛”も、“光”も、世界のすべてをつつむ便利な言葉で、
目に見えないものまで、あらわしてくれます。
この曲では、サンバ調のごきげんなリズムにのって
軽やかなステップを刻む女神が見えるようです。

この曲が使われていたビールのCMでは実際に、
ダンサーの華麗なステップが披露されていました。

では、“光”つながりで、おまけの一曲。
同じ山下達郎の「SPARKLE(スパークル)」です。
(“sparkle”とは、“輝き・きらめき”といった意味)

「LOVELAND, ISLAND」と同じアルバム『FOR YOU』の
1曲目に収録された、まさに夏の到来を告げるような曲です。

「七つの海から 集まってくる 女神たちのドレスに 触れた途端に
 拡がる世界は 不思議な輝きを 放ちながら 心へと忍び込む」
(「SPARKLE」 詞:吉田美奈子、曲:山下達郎 1982)

この「不思議な輝き」が、タイトルの由来だと思われますが、
コーラスは、こんな歌詞になっています。

「Wonder in your world.
 Sparkle in my heart.」
(和訳:
君の世界の不思議、
僕の心のなかの輝き)

「女神たちのドレス」とは、海風の比喩でしょうか。
海から吹いてくる風と、きらめく夏の光。
そんな「不思議な輝き」がもたらす解放感…。

なんて解釈では、この曲のよさはまったく伝わりません。
この楽曲の魅力は、サウンドの圧倒的なカッコよさです。

むしろ歌詞には、明確な意味や論理性をもたせず、
サウンドの効果を増幅させ、イメージを拡げるような
そんな感覚的な言葉がつぎつぎに繰り出されます。

山下達郎が刻むギターの軽快なカッティング、
ドラムとベースのリズム隊が生み出すグルーブ感、
低音から高温へと順に重ねられるブラスの響き、
などといくら説明しても、百言は一聴に如かず。

では、2023年に公開された新しいMVをどうぞ。

※ダンサーの動きについ注目してしまいますが、
できるだけサウンドの重なりに注意しながら、
楽曲そのもののカッコよさを体感してください。
この際、歌詞はどーでもいいです。(笑)