「きっかけ」乃木坂46

作詞は、秋元康さん。AKB48グループや
坂道シリーズのプロデューサーであり、
ほとんどの曲の歌詞を手がけている怪物です。
(「きっかけ」を書いたのは58歳のとき)

キラキラしくて可愛いアイドルたちの歌も、
オジサン(秋元康)が書いた歌詞だと思うと、
受け止め方がずいぶん変わってきますね。
でもないか?

この曲は、夢に踏み出す人の背中を押す
「きっかけ」となるような応援ソングです。

《決心のきっかけは 理屈ではなくて
 いつだってこの胸の衝動から始まる》

とか

《走りたい時に 自分で踏み出せる
 強い意思を持った人でいたい》

とか。若者向けのポピュラーソングには、
こうありたい自分、生き方のモデルとなるような
みんなの願望を投影した主人公がよく出てきます。

それをアイドルやロックスターが演じれば、
けなげに見えたり、カッコいい!ってなるし、
学校の先生の説教よりも胸に響きます。

ショービジネスの世界には、アイドル歌手に
こんな曲を歌わせようと仕掛ける人たちがいて、
そこに気づくと、アイドルの魅力だけでなく
作り手の戦略や思惑にも興味がわいてきます。

たとえば、乃木坂46の「きっかけ」
欅坂46の「サイレントマジョリティー」
比べてみましょう。

リリース時期は「サイマジョ」が2016年4月、
「きっかけ」は2016年5月 (アルバム中の1曲)。

「サイマジョ」は欅坂46の衝撃のデビュー曲で、
アイドル事情にうといオッサン(私)の耳にまで
世間のザワつきが聞こえてきたほどでした。

乃木坂46が「フランス領の女子高」みたいな
可愛らしくて高級感のあるイメージだとすれば、
欅坂46は「イギリスのモッズ」寄りにして、
カッコ良く、スタイリッシュにという戦略だったとか。

※モッズは、1960年代半ばのイギリスの若者の間で流行したファッション。

「サイマジョ」の歌い出しは、

《人が溢れた交差点を どこへ行く?(押し流され)
 似たような服を着て 似たような表情で…》

「きっかけ」の出だしも同じ交差点です。

交差点の途中で 不安になる
 あの信号 いつまで 青い色なんだろう?》

しかし、主人公の性格は真逆です。

「サイマジョ」の主人公が
《僕ら》という男性人称を使って、
《この世界は群れていても始まらない》
《大人たちに支配されるな》《行動しなければ》
と、物言わぬ若者たちを鼓舞するのに対して、

「きっかけ」のヒロインは、
何かに追い立てられ、焦る自分やみんなを見て
笑ったあとで《客観的に見てる私が 嫌いだ》
自分自身を責めてしまうタイプ。

ただ、2つの曲の主人公の性格は真逆でも、
最終的なメッセージはよく似ています。

「サイマジョ」では、
《選べることが大事なんだ 人に任せるな》
《ここにいる人の数だけ道はある
 自分の夢の方に歩けばいい》と勇気づけ、

「きっかけ」では、
《生きるとは選択肢 たった一つを選ぶこと
 決心は自分から
 思ったそのまま…生きよう》
と、最後に自分で決意します。

「きっかけ」を「サイレントマジョリティー」の
アンサーソングとして聴いてみるのも一興です。

不安を抱える群衆の一人だったヒロインが
「サイマジョ」という「きっかけ」に背中を押され、
自分の夢に向かって歩きはじめるストーリー。

さらに面白いのは、
それをアイドルが演じるという逆説。
ショービジネスのシステムに組み込まれ、
大人たちが考えた戦略にそって
《大人たちに支配されるな》と歌い、
同じ制服を着せられて
《誰かの指示 待ち続けたくない》
指示された通りにステージで踊る少女たち。

でも(だからこそ?) 彼女たちの
心の叫び、パフォーマンスは胸を打つ。

アイドルという虚像がかかえこむ矛盾や葛藤が
彼女たちをひときわ輝かせるのでしょうか。
「夢に向かって」という殺し文句で
過酷な生き残り競争へと背中を押され、
そんなドラマもまた見世物になるという現実。

いたいけなアイドルの姿を見ていると
なぜだか哀しくなってしまうのは
私が古い人間だからかもしれません。

《今日も今日とて 親方さんに
 芸がまずいと 叱られて
 バチでぶたれて 空見上げれば
 泣いているよな 昼の月》
(「越後獅子の歌」美空ひばり)